1/25 木
この日も、母と合流して19:30ごろからお見舞い。
ちょうどお部屋に行ったら看護師 H本さんと母がお話ししておりました。
H本さんは、ふくよかだけど可愛く関西弁でとても感じのいい看護師さんです。
H本さんが、「今は脳がまだ浮腫んでる状況やから、言語障害がでてはるけど、腫れが引けばある程度改善する」
と説明してくれました。
“もう父の声は聞けないのかなー”
と不安だったので少し安心しました!
ここの病院の看護師さんは、本当に良くしてくださる良い方々ばかりです。
そんな方々のお世話のおかげで、今の父があります。
本当に感謝しかありません。
しかし、
父はこの日、爆睡してました。
寝てる父に
「また明日くるね!」
と言い病室を後にしました。
1/23 初めて書きます。
これから始まる、長い長い介護と子育ての不安や愚痴の捌け口、そして己自身の備忘録として始めました。
★作者スペック
20代後半
妊娠8ヶ月(4月に子供が生まれる予定です。)
結婚2年目。(2016年5月に結婚し、翌年6月に挙式)
ゆる〜い会社でフルタイムワーカー(育休明けは時短勤務予定)
間も無く産休入
旦那長男
旦那の実家は隣町(車で自宅から30分ぐらい)
★家族スペック
父、母、兄1、兄2、愛猫8歳
一昨年やっと私名義で親が住むマイホーム購入。
(それまでずっと賃貸暮らしでした。内装やらを母好みの家に出来て、母はやっと夢が叶ったばかり。)
父、63歳、定年なし
母、60代前半、定年65歳
兄1、30代後半、子供2人(2歳、0歳)、横浜在住、マイホーム3年目
兄2、30代前半、独身、県内在住、
今回介護の対象となる父親は、今年の1月で64歳。仕事もしてまだまだ現役でした。
●事故当日
2018.1/17(惜しくも父の誕生日10日前)
この日の関東は夕方大雨でした。
その日、母は仕事を休んで私用で横浜へ行っており、帰って来てからご飯の支度するのも大変だろうと思い、
私は翌日のお弁当に作ったミートボールが余分だったのでそれをおすそ分けに&実家にいる愛猫に会いに向かっている途中に母から着信がありました。
(自宅と実家までは、2キロちょっとの距離です)
この時点で19:30過ぎ
その途中、
“お父さんが事故で運ばれた!私も今自転車で濡れて帰って来たんだけど、お父さんの仕事のカバンと靴が玄関にあって…。わけもわからないけどとりあえず病院に向かう”
と。
私は、
その日、夕方大雨だったので、
仕事が終わって自転車で帰る途中にぶつけられたのかな〜ぐらいに思ってて、全然焦りも不安もありませんでした。
外傷程度でしょう、となぜか確信のない自信はありました。
その自信は、前日も会って元気で普通に会話していたのでまさか、脳出血で倒れて右半身が麻痺になったとは到底考えもしなかったのが事実です。
“今そっち向かってる途中だから、一緒に行こう”
と伝え、実家に向かい、ビショビショの母を拾い病院は向かいました。
その時は母、濡れている寒けと、不安と恐怖で震えていました。
病院に向かう途中、車内で母が着信の残っていた番号に折り返すと、病院のERからでした。
容態を聞くも、“とりあえず来てください”の一点張り。
まぁ、電話で容態説明はしないよなぁと内心納得してそのまま病院に向かいました。
車を駐車所に留めるから先に中に向かってといい、駐車場手前で母を下ろし後から母を追いかける形で病院に入りました。
この時初めて、兄弟(兄2人)にLINEで報告。
私「父交通事故で搬送される」
「詳細不明」
「今母と病院へ」
「娘はかすり傷程度かなと思ってる」
だけ送るとERの部屋に到着。
(歩きスマホごめんなさい。)
入り口には背広を着た男性が2人と、
母と同じぐらいの年齢のマダムが1人、その方々に目を赤くして謝り続けている母の姿がー…。
(のちに、背広の方々は会社関係者だと知る)
この時して、“嗚呼、被害者じゃなくて加害者なのね…。被害者の容態どうなんだろう”と、一気に不安が押し寄せる。
謝る母を目の前に私は立ち尽くすことしかできず、一緒に謝ることすらできませんでした。
そうしてるうちに、看護師さんに
「◯◯さんの、ご家族の方〜」と呼ばれる、看護師さんの後に続きERの中へ。
そこには、管をたくさん刺された、左半身を下にして横たわる父の姿が。
「お父さん大丈夫?!」と駆け寄るも
父は「お母さん!お母さん!」と母を呼ぶ。
そして、ろれつが回ってない。
何を言ってるのな聞き取れない。
その姿、声を見た時は衝撃的でした。
その姿を見て初めて、ことの大きさを知り、涙がこみ上げてきたけど、我慢して涙が頬を伝うことはありませんでした。
そして、この状態はやばいと、
部屋を出て兄1に電話。
その後兄2にも電話。
仕事中の2人もわざわざ駆けつけてくれることになりましま。
そんなこんなで、ER室内と廊下の行き来をしてると、
ドクター?が着て、
【脳出血】だと教えてくれる。
しかも結構な量の出血だと。
でも、脳出血なので運ばれた時の血圧は200ぐらいだったけど、今は下がりコレストロール値も糖尿も普通なので何が起因して脳出血になったのか医師にもわからないと。
父は昔から酒豪だったので、少しアル中なのかもと母が医師に伝えると、原因はそれかもしれないと。
この時点では、父は自ら生年月日、名前、年齢全て言えました。
そうこうしているうちに、旦那が来てくれ、父はERからICUに移ることに。
ICUの家族控室で待つように言われてる間に、兄1が到着。
その後、ICU内に通されまた父と面会。
話すことはできるが、一問一答のように即答。
そして、自分の右手はどこ?と家族に尋ねる。
兄1が
“お父さんの右手は今お休み中なの。” と優しく教えるも、“どこ?どこ?どこ?”と。
自分の右半身が麻痺になったことを理解してるのかしてないのか…。
そうしてるうちに兄2も、来て家族で
“一番病気とは無縁そうな人がー…”
と、皆で顔を見合わせ呆然としました。
どうやら、仕事中に意識を失い、
赤信号で停止中にブレーキから足が離れ自転車を引いて歩いていた歩行者にぶつかったようでした。
事故ったのは17:00前後。
母の携帯に連絡が来たのが19:30。
事故の真相、当時の状況は、今の時点ではわかっていません。
ただわかっているのは、ぶつかった後バスから降りて引いてしまったおばあさんの元へ。
そして、おばあさんの自転車の上に倒れ込んだらしいです。
引いてしまったおばあさんは、打撲ですみましたが、メガネと自転車が破損しました。
脳出血は、時間との勝負です。
が、おばあさんが“もう少し早く警察の人が動いてくれたらここまで後遺症でなかったのかもしれないのに”と心配してくれています。
事故当時のことは何もまだわかりません。
父に聞くも、話せる状況ではありません。
そんなこんなで、22:30ごろみんなで病院を後にしました。
誰もが信じられない現実だったと思います。